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中学2年でテューバに転向 ~私の楽器遍歴(4)~ [音楽・楽器]

3月1日の「楽器遍歴(3)」↓の続きです。
http://blog.so-net.ne.jp/lionbass/2006-03-01

中学2年になるとき、3年生が卒業してテューバが1人しかいなくなっていたので、トロンボーンからテューバへの転向を言い渡されました。
学校にはロータリー(もちろんB♭管)のテューバが2本あって、私は、大きい方の"Lignatone"という楽器を与えられました。チェコスロバキア(当時)製で、「リグナトーン」と呼んでいました。ちなみに、もう1本もチェコスロバキア製で"Richard"というメーカーでした。(「リチャード」と呼んでましたが、この読み方でよかったのでしょうか…。)

この「リグナトーン」結構重い楽器でした。2年生の時のコンクール九州大会(当時は「西部地区大会」)は復帰直後の沖縄・那覇で開かれたのですが、出場校が市内で行った恒例のパレードでは、このロータリーテューバで演奏しました。スーザフォンを持っていけなかったからなのですが、相当苦労した覚えがあります。

中学3年の時のコンクール自由曲は、ベルリオーズ「幻想交響曲」の4楽章(「断頭台への行進」)で、同級生がやめてしまったので、テューバは私1人でした。
この4楽章は、大学でオーケストラに入ってコントラバスで弾いても結構難しいと思いましたが、その時は、コントラバスのパートはほとんどそのままそっくりテューバに割り当てられていました。(今でも、指づかいは覚えています。)
コンクール(長崎予選)終了後、よその学校の吹奏楽部の顧問(指導者)の先生に褒めてもらいました。(ちょっぴり自慢)
この頃は、テューバを吹いて音大に行きたい、と少しだけ思ったりしました。ヴォーン・ウィリアムズのテューバ協奏曲の楽譜を手に入れて、少し練習したりしていました。

そういえば、「楽器遍歴」ではありませんが、中学2年から3年になるころ、アレンジをするようになりました。管弦楽法の本は読みましたが、だれか先生がいたわけではないので、「自己流」でした。
最初は、「森のクマさん」を金管アンサンブルに編曲。そのあと「あなた」(小坂明子)をフルバンド(吹奏楽)に編曲したりもしました。(ちゃんと人前で演奏されました。)

中学校の吹奏楽部の同級生のうち、2人が後に桐朋音大に進学しました。1人は現在、在京某プロオケに在籍しています。

次回は、いよいよ(?)私がコントラバスを弾くことになったいきさつについて書きたいと思います。
(続く)


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